2017/10/20(金) 曇
このところ2週間近く自転車から遠ざかっていた。
今日は曇り空。
絶好の自転車日和と思い出かけたが、路面は濡れていて午後からは小雨になった。
それでも、ストレス解消のいい一日になった。
今日は、南方向を選択。
朝から少しの時間地域の中学校の文化祭に寄り、氷川町辺りまでいければ良いがと10時半出発する。
が、宇城市まで来て戦意喪失。道の駅「宇城彩館」(写真1参照)で昼食とする。

雨が止むのを待って、「熊本県博物館ネットワークセンター」(写真2参照)に寄る。
「ちょっと昔のくらし探検」展が開催されていた。
昭和30~40年頃の生活用具が展示してある。
私の子供の頃の暮らしがそこにあった。

暮らしの変化にいろんな事を思いながら熊本県博物館ネットワークセンターを後にして、旧3号線方向に周回して帰ろうと西に向かう。
途中宇城市社会福祉センター構内に、良い色合いに色づいたハナミズキ(写真3参照)があった。

宇土市の市街地を通る途中に宇土市図書館により、「向野田古墳」の発掘物の展示物を見る。
この古墳の築造年代は四世紀後半という。
当時は、大変な貴重品であったと思われる埋葬物の多さに圧倒される。
刀剣類が数十本埋納されている。全て棺の外の埋納である。
弥生時代後期の戦乱時代から戦闘のない平和な時代が到来したのか?
未だ統一国家成立以前と思われる時代に、どういう社会システムを構築したから平和が到来したのか、どなたか解明して頂きたいと願う。
今だ銃を手放さない米国人にも一度見てもらいたいとも思う。
大きな銅鏡が顔の右側に置いてある。顔を映していたのか?
小さめの2枚の銅鏡は頭の上部にある。それぞれに用途が違っていたのか?
耳元、首には勾玉、管玉の玉類がある。オシャレには気を使っていた人か、またはせめて黄泉の国に旅立つ人にオシャレをさせたのか?
右腕には、碧玉製車輪石がある。南海産の貝釧に似せて工作されているように思える。
足元には、イモガイ製貝釧(貝製の腕輪)がまとまって置かれていた。
海洋民族の歴史を引き継ぐ部族長だったのか?
貝釧はこの時代まで貨幣として通用していて、その貴重な蓄財物を埋納したのか?
宇土半島基部の人々が海洋民族の歴史を引き継ぐ人々であれば、継体天皇時代の「大王の棺(阿蘇ピンク石)」の海上輸送に携わった人々に引き継がれていったのか?
有明海の出口の小田良古墳の被葬者もそのような人々の一人か?
と、思いは果てしなく広がる。
宇土市向野田古墳の展示物は、古墳時代を知る上での最良の資料と思う。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)26km→熊本県博物館ネットワークセンター29km→熊本(自宅)所要時間6.5時間(実4時間) 総計55km 走行累計22,360km