野津古墳群
2014/11/14(金) 曇
今日の天候は曇、目的地は氷川町「野津古墳群」。今日は国道3を南方向へ向かう。宇城市松橋から南は、始めて走る。路面の補修工事や拡幅工事があちこちで行われている。
自宅(熊本市)から竜北物産館まで平均20km/h、1.5時間で着いた。弁当を買い昼食とする。物産館前交差点から「高塚装飾古墳、大野窟古墳」の標識に従い山手方向へ上る。竜北公園内に向かって急坂を登る。園内に詳細な大きな案内板(写真1参照)があった。
まずは、「笹尾城跡」の案内標識に従い尾根筋を南に進むと、「笹尾城跡」の解説板(写真2参照)がある。
ここにも南北朝時代の戦跡があることに驚いた。少弐頼尚は北部九州の武将で南朝方として戦ったときもあるがここ氷川町に領地があったのか?それとも転戦していただけなのか?肥後の国衆は単に反鎌倉だけだったのか?それとも難波に石棺を送っていた古墳時代からの繋がりがあっての宮方なのか?肥後国衆は古代豪族の系譜に繋がり、豊臣秀吉の九州討征まで続いていたと言う。想いは広がる。眺望は、麓に平地が広がりその先に海が見え、遠方に宇土半島が見える。
笹尾城跡を後にして南方向へ進むと、道は一旦下りミカン山の中を進む。野津古墳群は標高100m程の所にある。最初に目に入ったのは「姫の城古墳」(写真4参照)。周溝部に、放し飼いのヤギが草を食んでいた。大きな前方後円古墳である。
姫の城古墳を右手に見ながら進むと「中の城古墳」(写真5参照)
手前に「野津古墳群」の案内板(写真6参照)がある。
案内板を右に曲がって進むと「物見櫓古墳」(写真7参照)がある。墳丘は鬱蒼と茂った樹木の中にある。
案内板の所に戻り南に進むと「端の城古墳」(写真8参照)がある。周りは公園化されていて、のどかな雰囲気のなかに古墳はある。
磁器製の説明盤(下写真9参照)もある。いずれの古墳も100m近くある堂々たる前方後円墳である。「火の君あるいはその一族の古墳といわれている」と案内板にある。
丘の麓の平野部の2/3は中世以降の干拓によるものでることを考えれば、他地域も糾合した権力による富の集中があっての古墳ということも、充分考えられる。古代「肥の国」は、熊本県、長崎県、佐賀県に広がる。古墳の装飾には、武具、太陽、馬、舟が描かれている。海上交通の術に長けた人々の国であったと連想する。六世紀の古墳、前方後円墳であることから継体大王との繋がりは考えられないか?
丘を下って国道3に出る手前の所に「薩摩街道八里木」の標識がある。その後は、国道3を北方向へ走り帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)33km1.5h→道の駅「竜北物産館」10km2h→端の城古墳39km2h→熊本(自宅)所要時間6時間(実4時間) 総計82km 走行累計8,638km