
菊池三十三観音霊場街中巡礼・正観寺の樟
2022/5/10(火) 曇
今日の最高気温予報は26°と夏日予報。明日から一週間ほどは雨模様の予報に是非にも自転車に乗らねばと、午前9時半からポタリング出る。
目的地は、菊池市街中の三十三観音霊場19番札所玉祥寺観音堂、21番札所正観寺観音堂、30番札所長福寺(北原観音堂)、31番札所汐塚観音堂、32番札所道場寺(下横道)観音堂、33番札所横道蔵六庵、市街地外れて雪野の5番札所北向山観音堂の巡礼とし、正観寺では樟を見ることとする。
往路は熊鹿ロードを北へ走る。熊鹿ロードの投刀塚の上り坂にはオオキンケイギク(写真1参照)が咲いている。見た目は奇麗だが、環境省の「特定外来生物」に指定されている。
熊鹿ロード伊知坊から合志川堤防を走り橋田大橋で菊池川を渡り、迫間川を渡り右岸堤防を遡る。次の橋で迫間川左岸堤防に渡り国道325を東に進み、菊池市街地の30番札所長福寺(北原観音堂)(写真2・3参照)を拝する。
説明板(写真4参照)には、「長福寺の開基年代は不詳であるが、菊池武光により創建され、元は天台宗であったが後に禅宗となり、正観寺下の一寺として菊池一族の庇護を受けた。寺の御本尊は十一面観世音菩薩で行基作と言われ、両脇に不動明王と吉祥天が祀られている。」とある。
長福寺を後にして、北方向に鎮座する31番札所汐塚観音堂(写真5・6参照)を拝する。境内には五輪塔や墓塔や石仏が鎮座する。
汐塚観音堂を後にして、32番札所道場寺(下横道)観音堂(写真7参照)を拝する。
説明板(写真8参照)には、「正式名称は第32番札所道場寺観音堂。文教元年(1861)観音祭の料理献立があり、それ以降の祭日の献立、祭りの仕切人、寄付などが記された帳簿があるが、歴史に関する記録は残っていない。本尊は聖観世音菩薩。現在は玉祥寺の末寺になっている。」とある。
道場寺(下横道)観音堂を後にして、迫間川を渡り19番札所玉祥寺(写真9参照)を拝する。
御堂扉は鍵が掛かっているが、格子の間から御本尊(写真10参照)を拝することが出来る。
玉祥寺を後にして南方向に迫間川を渡り返し、33番札所横道蔵六庵(写真11参照)を拝する。
ここも御堂扉には鍵が掛かっているが、ガラス越しに御本尊(写真12参照)を拝することが出来る。
説明板(写真13参照)には、「蔵六庵(観音堂)
この観音堂は曹洞禅宗に属し十一面観音菩薩を本尊とする。主管は高野瀬区で座祭り・営繕関係・清掃関係一切を担当している。開基については次の三通りの説がある。
(1) 天正十六年戊子(1588)建立する説(十一面観音の位牌あり)
(2) 延享ニ年乙丑(1745)徳永寂水の開基とする説
(3) 明和元年甲申(1764)玉祥寺大清天寧和尚の開基とする説、その後玉祥寺の末寺になっていたといわれている。今も安産祈願・その他の信仰を得て尊崇されている。菊池三十三観音霊場の中打留の第三十三札所である。・・・」とある。
蔵六庵を後にして北原観音堂の説明板の写真を撮りに引き返し、東方向の正観寺に移動し地蔵堂(写真14参照)を拝する。
説明板(写真15参照)には、「正観寺庫裡の南の下の平地に、近世末に改築された地蔵堂があり、室町後期の木造地蔵菩薩坐像一躯が安置されている。本像は樟の寄木造りで彩色されており、像高は159cmに達し、座像としては県下最大級の巨像である。」とある。
この木造地蔵菩薩坐像は、菊池市指定文化財(彫刻)になっている。
この地蔵堂の東北側に、21番札所正観寺観音堂(写真16・17参照)が鎮座する。その後ろに写っている大木の「正観寺の樟」は、熊本県指定天然記念物になっている。
御堂扉は鍵が掛かっているが、格子の間から御本尊(写真18参照)を拝することが出来る。
現在時刻13時と余裕があるので、雪野の5番札所北向山観音堂まで行くことにする。
県道133を北方向へ走り、竜門郵便局の400m程先を右折すると、山麓に苔むした石段(写真19参照)が見える。
この石段を上がると正面に岸壁があり、その前に観音堂(写真20・21参照)が鎮座する。この岸壁が古代の信仰対象で、その聖地に観音堂が建立されたものではないかと推測する。現在時刻13時半に帰途に就く。
16時過ぎに帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)39km→雪野観音堂33km →熊本(自宅)
所要時間6.5時間(実5.5時間) 総計72km 走行累計48,306km