熊本から気ままに山と自転車のブログ

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放牛石仏(地蔵)80・道標・106・67・47・44・無番号7体目


放牛石仏(地蔵)80・道標・106・67・47・44・無番号7体目
2021/11/04(木) 晴

最高気温予報22°と今日も絶好の自転車日和に、午前9時半からポタリングに出る。目的を放牛石仏(地蔵)80・道標・106・67・47・44・無番号7体目探訪とする。

先ずは釜尾町小萩公園上り口の放牛石仏(地蔵・穴地蔵)80体目を探訪する。鉄塔方向に上る小路の右上に岩(写真1参照)がある。


その岩に祠(写真2参照)が穿ってある。


中に2体の地蔵(写真3参照)が鎮座する。光背部があるのが放牛石仏特徴とすれば、奥の方が放牛石仏(地蔵)と推測する。手前の地蔵尊は、頭部が凝灰岩製であるので修復されたもの思う。


放牛石仏(地蔵)80体目を後にして、池田2丁目にある「放牛さんの道標」(写真4参照)に移動する。


石塔(写真5参照)には、〇の中に梵字と、「南無・・・」と陰刻してある。現場プレートに「放牛道しるべ三十三処みちひだり」とある。
馬挟みから下って来る階段道の道標か。


「放牛さんの道標」を後にして、津浦地蔵尊堂(写真6参照)に移動する。丘の上にあるが、元古墳等のあった聖地だろうか。近くに稲荷山古墳がある。


地蔵尊堂に上がると、境内に放牛石仏(地蔵)106体目(写真7・8参照)が鎮座する。写真は、逆光で写りが悪い。


放牛石仏(地蔵)106体目を後にして、坪井5丁目の放牛石仏(地蔵)67体目(写真9参照)に移動する。


地蔵尊(写真10参照)は、錫杖が金属製で、全体を石膏で化粧しているのか白く見える。手前にある石が本来の石仏だったようだ。


放牛石仏(地蔵)67体目を後にして、黒髪2丁目にある放牛石仏(地蔵)47体目(写真11参照)に移動する。


放牛石仏(地蔵)47体目(写真12参照)の光背部には文字が見えるが、格子の外からでは読めない。地蔵尊の前にぬいぐるみがある。67体目にもぬいぐるみがあった。奉納されたものか?


放牛石仏(地蔵)47体目を後にして、清水本町にある放牛石仏(地蔵)44体目(写真13参照)に移動する。


一回り大きめの放牛石仏(地蔵)44体目(写真14・15参照)光背部には、上部に歌が印刻してある。右側には「四十四体目」、左側には「他力願主放牛」とある。


放牛石仏(地蔵)44体目を後にして、西梶尾町にある放牛石仏(地蔵)無番号7体目(写真16参照)に移動する。


放牛石仏(地蔵)無番号7体目(写真17参照)の光背部右側には、「享保十一年・・・」とある。


正午前だが、ここを最後に帰途に就く。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)24km→放牛石仏(地蔵)80・道標・106・67・47・44・無番号7体目→熊本(自宅)
所要時間2.5時間(実2時間) 総計24km 走行累計43,747km