熊本から気ままに山と自転車のブログ

ウォーキング・サイクリング・文化財探訪・山行のこと等を記しています。

味取観音の紅葉2022


味取観音の紅葉2022
2022/11/26(土) 晴/曇

今日は、最高気温22°の自転車日和に、午前11時から目的地を味取観音の紅葉としてポタリングに出る。味取観音の跡は、小野の泉水を廻って帰ろうかと思ったが、自転車が調子よいので来民の大イチョウまで足を延ばして帰った。
8月に発注していた自転車部品が、4ヶ月月近く待ってやっと入荷した。昨日早速、駆動部分総取換えの修理をして貰った。お陰様で新車同様の快調な走りができ、巡航速度も上がった様に感じた。

往路は、熊鹿ロードを北進し、舞尾交差点で国道3に出て味取観音に向かう。
味取観音瑞泉寺境内入口には、「山頭火と味取観音瑞泉寺紅葉まつり」の看板と横断幕(写真1参照)が掲示してある。明日(27日)がまつり日のようである。


入口左側には、山頭火の立像(写真2・3参照)がある。(写真2は11月27日差し替え)


その前に植木町教育委員会の説明板(写真4参照)がある。
そこには、「山頭火は本名種田正一、明治十五年、山口県防府市に生まれた。早稲田大学文科を中退し、父と共に家業に従事したが失敗し、これから流浪の生涯が始まった。熊本に来たのが大正五年、彼が三十五才の時であった。酒にひたって家業を顧みず、上京したり帰熊したり奔放な生活を続けていた。大正十三年、出家して禅僧となり翌年味取観音の堂守として、読経と句作の独居を続けた。観音境内の刻まれた「松はみな枝垂れて南無観世音」の句は、当時の作である。しかし、ここも永くは続かず、一年二ヶ月にして去り、以来、放浪生活を送り昭和十五年十月十一日、四国松山市一草庵で波瀾の生涯を閉じた。五十九才であった。
山頭火は萩原井泉水の俳詩「層雲」によって自由律の俳句をよんだ詩人で「鉢の子」をはじめ七句集やぼう大な日記類があり、「山頭火全集」まで出版されており、日本の俳句史上特異の地位を占めている。」とある。


その裏側は、三十三回忌に松山市の大山澄太氏が寄贈した句碑(写真5参照)になっていて、十八句が書かれている。
松風に明け暮れの鐘撞いて
ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いている
分け入っても分け入っても青い山
炎天をいただいて乞い歩く
生死の中の雪ふりしきる
へうへうとして水を味ふ
笠にとんぼをとまらせてあるく
ほろほろ醉ふて木の葉ふる
しぐるるや死なないでゐる
法衣はこんなにやぶれて草の実
こんなにうまい水があふれている
醉ふてこうろぎと寝ていたよ
うしろ姿のしぐれてゆくか
鉄鉢の中へも霰
雨ふる婦るさとははだしで歩るく
こころすなほに御飯がふいた
家をもたない秋が深くなるばかり
大楠も私も犬もしぐれつゝ


境内には、山頭火がこの地でよんだという「松はみな枝垂れて南無観世音」の幟(写真6参照)が立っている。


モミジ(写真7参照)が真紅に色付くには少し早かったか。


今年も山頭火の句を書いた札が下げてある。「ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いている」(写真8参照)


本堂へ上がる石段の横にも札が・・・「水はみな音たつる山のふかさかな」(写真9参照)


「鶯よう啼いてくれるひとり」(写真10参照)


「けふも托鉢ここもかしこも花ざかり」(写真11参照)


瑞泉寺本堂前にも・・・「松風に明け暮れの鐘撞いて」(写真12参照)


本堂横にも・・・「松はみな枝垂れて南無観世音」(写真13参照)


本堂前から岩野山を望む所にも・・・「分け入っても分け入っても青い山」(写真14参照)


少し下がって・・・「真夜中にはだしで猫がもどって来た」(写真15参照)。


味取観音を後して、来民の大イチョウに移動する。現在時刻14時半に帰途に就く。
16時半に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)27km→来民の大イチョウ27km→熊本(自宅)
総所要時間5.5時間(実4時間) 総計54km 走行累計51,636km

過去の味取観音
2021.11.272020.12.152020.11.282015.12.7