
池亀・禅定寺・走潟・清水寺の六地蔵探訪
2022/4/6(水) 晴
今日の最高気温予想22°目的地を宇土市走潟町の六地蔵を最終地として熊本市内六地蔵の巡礼と、11時から所用を兼ねたポタリングに出る。
成道寺の二基の六地蔵を拝して、池亀の六地蔵に移動する。
池亀の六地蔵(写真7・8参照)は、笠が一際大きく幢身も太い。龕部は、仏像の形が僅かに残る程度に風化が進んでいる。


花畑町の「くまもと花とみどりの博覧会」会場(写真9参照)の中を、自転車を押して通り抜ける。

次に禅定寺を訪ねる。本堂入り口の左右に、百体ほどの石の地蔵尊(写真10参照)が鎮座する。

龕部のみの六地蔵(写真11参照)が、本堂左側のマキの根元に鎮座する。本堂部分は生垣で囲われているので、失礼して生垣の隙間から写真1だけ撮って退散する。

禅定寺を後にして、緑川平木橋を渡って、宇土市走潟の六地蔵(写真12参照)に移動する。この六地蔵には龕部はない。

説明文(写真13参照)には、「概要。六地蔵塔とは、多角形の柱状に造られた石幢という幢身に、地蔵の彫られた龕部・笠・宝珠をもつ形式の石塔で、戦国時代の九州においてさかんに造られたものである。
地蔵菩薩はもともと六種類の迷いの世界である六道に迷う人々を導く存在であるとされたが、転じて、道に迷った人を正しい方向へ導き守る道祖神としての役割を持つようになった。六地蔵塔は主として当時の路傍や交差点、集落の出入口などに建てられていることが多い。
本塔は幢身のほか、龕部を載せる中台と最上部の宝珠だけが残っているだけで、龕部と笠は失われてしまっている。幢身は風化が激しく、年代・願主などを示す情報を読み取ることは出来ず、わずかに宝珠の下部に浮彫された卍文を認めるにすぎない。
しかし、本塔から約二五〇メートル東の南走上地域において、一六~一七世紀の石塔群がみられ、本塔の年代は、それらの中でも早い時期の所産とみられる。」とある。

走潟の六地蔵を後にして帰途に就くが、途中の新幹線側道沿いにある清水寺(写真14参照)に寄る。以前に新幹線を撮るために訪れたことがあるお寺である。

石門を潜ると境内左側に豪潮律師の宝篋印塔(写真15参照)が建っている。

その奥に二十体ほどの羅漢さん(写真16参照)が鎮座する。

羅漢さんの左奥に六地蔵(写真17・18参照)が鎮座する。
建立年の確認を忘れたが、風化の程度から相当に年月が経っていると思われる。龕部の仏像も詳細部分は摩滅している。


六地蔵探訪もほぼ一巡したと思うので、一区切りとしたい。次の探訪テーマは?
16時に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。ウクライナに平和が訪れますように!
熊本(自宅)25km→走潟六地蔵21km →熊本(自宅)
所要時間6時間(実5時間) 総計46km 走行累計47,269km