熊本から気ままに山と自転車のブログ

ウォーキング・サイクリング・文化財探訪・山行のこと等を記しています。

小畑六地蔵・四十九池神社・浮田下ノ池・富尾菅原神社


小畑六地蔵・四十九池神社・浮田下ノ池・富尾菅原神社
2022/4/1(金) 晴

今日の最高気温予想18°目的地を玉名市登録文化財浮田下ノ池吐井出を主とし、その前後にブログ「くまもと自転車紀行」の3.27の記事にあった「小畑の六地蔵」と「冨尾菅原神社の仁王像」を探訪することとし、10時半からポタリングに出る。

熊鹿ロードから県道31国道208を走り、玉名大橋を渡り県道4を繁根木川沿いに遡り、「小畑の六地蔵」(写真1参照)に到着する。3月11日にもここの前を通ったが、目的意識がないと目に留まらないものである。
幢身には、「○○建立若者中」「享和三〇〇歳(1803年)」の文字が刻まれている。


龕部(写真2参照)は、凝灰岩製でやや風化している。


小畑の六地蔵を後にして、四十九池神社(写真3参照)に移動する。


四十九池神社横の池(写真4参照)を見る。写真中央に蓮華院誕生寺奥院の五重塔が見えている。大きく見えればいい構図の写真になると思うが、距離が遠過ぎる。


池の堰堤の桜(写真5参照)は、満開に咲き誇っている。


四十九池神社を後にして、浮田下ノ池(写真6参照)に移動する。


浮田下ノ池堰堤(写真7・8参照)中央に、大きな縦長の岩が立っている。
上部に「頌徳」の文字が刻んである。その下に文字が刻んであるが、達筆であるので私には読めない。たぶん、次の説明文のようなことだと思う。当初目的の吐井出は確認できないまま、現地を後にする。


説明文(写真9参照)には、「浮田の池。江戸時代、岱明町一体には大きな池がなくて、日照りの時には、農民は水不足に悩んだ。
文化十三年(1816)、時の坂下手永惣庄屋清田新之充は、中ノ池を造成して、庄山、友田、上村、中程、下村五ヶ村の水がかりとした。
嘉永五年(1852)坂下手永惣庄屋関忠之丞は、中ノ池の上下に、上ノ池・下ノ池を掘り添え、一の口川(築地)より水路を引いた。これによって、築地、西築地、開田、鍋、扇崎、山下、下野口、中野口、前原、土器屋の十ヶ村が加わり、潅漑区域が十五ヶ村に拡大し、全体として五千俵の増産となったといわれている。」とある。


浮田下ノ池を後にして冨尾菅原神社に移動途中、国道208バイパスから蛇ヶ谷公園の桜(写真10参照)を見る。


冨尾菅原神社の参道階段を逸れて、横の道を少し上ると仁王石像(写真11参照)が鎮座する。ここは神社の敷地内ではあろうが、境内とは言いにくい崖地の窪みである。神仏分離令の影響だろうと思う。それでもロウソク・線香・献花があるのは、救われる気持ちになる。


仁王像に鉄線が巻いてあるので良く観ると、石造が割れているのを補修(写真12参照)のためのようである。


境内には狛犬一対と伏せた神牛の石造(写真13参照)が、鎮座する。現在時刻14時半帰途に就く。


16時半に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。ウクライナに平和が訪れますように!
熊本(自宅)33km→浮田ノ池32km →熊本(自宅)
所要時間6時間(実5時間) 総計65km 走行累計47,145km


四十九池神社
2018/4/15(日) 曇/晴

午前降水確率40%、午後0%の天気予報に雨が降らないことを願ってポタリングに出る。
目的は、玉名市山田日吉神社のフジの花。
山田神社を後にして、荒尾市まで行こうかと西進するが、玉名工業高校前で引き返すことにした。
帰路の途中、四十九池神社(写真17参照)という珍しい名称の標識を見たので立ち寄る。


参道も長く拝殿(写真18参照)は、大きく立派である。
一集落の神社にしては敷地も広いし規模が大きい。


石造の由来書(写真19参照)では、祭神は比咩御子神、副神健磐龍命、鎮座935年とある。
935年とは、皇紀935年か、西暦935年かこの碑建立から935年前なのか?