熊本から気ままに山と自転車のブログ

ウォーキング・サイクリング・文化財探訪・山行のこと等を記しています。

西南戦争正念寺・有栖川宮御督戦地


正念寺・有栖川宮御督戦地
2021/2/20(土) 晴

今日の最高気温は19°今日は、晴天の暖かい日になったので、所用を兼ねて11時から玉東町木葉西南戦争戦跡を目的地としてポタリングに出る。

往路は県道31から国道208を走って、玉東町木葉の正念寺(写真1参照)を訪れる。


国指定史跡の正念寺山門(写真2参照)は、明治10年西南戦争当時の形を残し、平成25年国指定史跡になった。


ここ正念寺は政府軍の大繃帯所をおいた寺で、博愛社(日赤)発祥地の碑(写真3参照)がある。


写真はピンボケになっているが、今でも当時の鉛弾が残る山門の柱型(写真4参照)がある。


山門の板には、弾丸が貫通した穴(写真5・6参照)が複数みられる。


「征討総督有栖川熾仁御督戦地」の記念碑(写真7参照)がある丘に移動する。


ここから三の岳方向(写真8参照)を見る。右奥の山が二の岳、中央が三の岳、左側の低い山が半高山である。先日訪ねた山県有朋の歌碑「木留山 しらむ砦の 捨てかがりけふると見しは 桜なりけり」の風景は、どこだったのか、と思いこの場所に来てみた。
戦線は3月20日田原坂を突破されたが、吉次峠・植木市街地・鳥巣の戦線は、維持されている。戦況が動いたのは4月14日の熊本城開城以降だから、本営は動いていないのではないかと推論する。
山県有朋は熊本城開城の報を聞いて、ほっと安堵して歌った歌ではないかと思う。そうだとすると、この歌の風景はここから見た風景か、薩軍撤退後の木留本営跡から見た半高山(吉次峠)方向の風景ではないかと勝手に想像した。


田原坂激戦之図」の錦絵(写真9参照)が掲示してある。「有栖川宮督戦の地、西南の役で全軍の指揮にあたった征討総督・有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)は、上木葉の本営からこの小高い丘陵にしばしば出向き指揮をとったといわれます。
ここからは、激戦地田原坂、二俣、横平山、遠くは三ノ岳、吉次峠・半高山までも見渡すことができる絶景地です。この丘陵地は、かって南北朝時代木葉の地頭宇都宮(うつのみや)一族の居城であったともいわれます。」とも書かれている。


今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)17km→正念寺18km→熊本(自宅)
所要時間3.5時間(実3時間) 総計35km 走行累計38,677km