熊本から気ままに山と自転車のブログ

ウォーキング・サイクリング・文化財探訪・山行のこと等を記しています。

北岡自然公園(国指定史跡妙解寺跡)

北岡自然公園(国指定史跡妙解寺跡)
2020/10/25(日) 晴
天候晴、最高気温21°昨日に続き夕方の散歩の代わりの午後15時半からポタリングに出る。時間が限られているので、目的地を震災復興のため行けなかった国指定史跡妙解寺跡とする。

自然公園の名称どおり、樹木が多い庭園風(写真1参照)の公園になっている。


三霊廟はこの石段(写真2参照)の上にある。


霊廟の門は唐門(写真3参照)になっている。


正面には、細川家第三代当主細川忠利公廟(写真4参照)がある。忠利公は細川家初代熊本藩主でもある。


標柱側面の説明文(写真5参照)は、経年劣化で読み辛い。


右隣には、忠利公室保寿院廟(写真6参照)がある。


こちらの説明文(写真7参照)は、明瞭に読める。


左隣は第四代細川光尚公の廟(写真8参照)である。


標柱説明文(写真9参照)は、明瞭で「・・・三十一歳の若さで亡くなりました。」とある。


左側には、光尚公殉死者の墓(写真10参照)が並ぶ。十人が殉死したとある。


右側には、忠利公の殉死者の墓(写真11参照)が並ぶ。


標柱説明文(写真12参照)には、「・・・十八人が殉死した・・・光尚は忠利の菩提寺として妙解寺を建立・・・阿部弥一右衛門や十七歳で切腹した内藤長十郎・・・」とある。


森鴎外の「阿部一族」のモデルになった阿部弥一右衛門の墓(写真13参照)がある。


標柱説明文(写真14参照)は「阿部弥市右衛門は藩主細川忠利の直臣で、忠利が亡くなる前に願ったが許されなかった。しかし、周囲の冷たい目に耐え切れず、あとを追って切腹した。藩では殉死とは認めたものの、阿部家の知行を分割して相続させた為、嫡子権兵衛が忠利の宝治のときに髪を切って供えるという事件に発展し、遂に阿部一族は追討されてしまった。・・・」とある。


参霊廟の外に出ると、第五代綱利の墓(写真15参照)へと続く。


竹林(写真16参照)の中を通り・・・


第九治利公室埴の墓、第十代斉茲公の子長岡熊吉の墓(写真17参照)


第12代斉護公御廟、奥は同室益の墓(写真18参照)


右側第七代宗孝公御廟、左側第八代重賢公御廟(写真19参照)


東南の角に石垣に囲まれた小さな島(写真20参照)がある。囲りの堀には旧井芹川の水が流れていたと推測する。


説明板(写真21参照)には、「経蔵の跡」とある。


時間に余裕があれば熊本城の現況を見て帰宅しようと思って出かけたが、妙解寺跡は予想以上に広かった。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)→北岡自然公園12km→熊本(自宅)
所要時間2時間(実2時間) 総計12km 走行累計35,901km


妙解寺門前の石橋
2020/10/11(日) 曇

鐘ヶ淵の細い流路を辿れば、妙解寺門前(写真3参照)の石橋に突き当たる。
橋が旧井芹川の川幅を表している。


門前に案内図(写真4参照)がある。妙解寺は藩主細川家の菩提寺で国指定史跡になっている。



植木図書館までポタリング
2020/10/24(土) 晴

天候晴、最高気温19°。夕方の散歩の時間になったので、植木図書館(写真1参照)に本の返却を兼ねて散歩代わりのポタリングに出る。


熊鹿ロードを北に走り、植木台地に上る。
植木駅辺りが標高50m、投刀塚の休憩所辺りで96m、そして植木町中心部で標高約120m。
山鹿市方向へ行くために越えなければならない高低差だ。
この高低差を一気に上ると、背中に汗が滲む。出発から約1時間、丁度良い運動量と思う。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)→植木図書館26km→熊本(自宅)
所要時間2.5時間(実2.5時間) 総計26km 走行累計35,889km