熊本から気ままに山と自転車のブログ

ウォーキング・サイクリング・文化財探訪・山行のこと等を記しています。

一目神社


一目神社
2020/10/14(水) 晴

天候晴、降水確率0%、最高気温26°予報の爽やかな秋日和に、今日も自転車に跨り午前10時前から、山鹿市方向にポタリングに出る。
北からの風が強い中、山鹿市の不動岩を一応の目的地として走る。途中、彦岳と不動岩の綱引き伝説の首石岩を思い出した。まだ行ったことがないので、目的地を首石岩に変更する。

首石岩(写真1参照)は、スマホgoogleナビに従って道を辿ると砕石場の奥にあった。ナビはここから徒歩で270mと案内するが、砕石場の中は重機が忙しく動いているので場内に入るに入れず、聞くに聞けずに写真だけ撮って退散する。


一目神社が近くにあるので移動する。その道の途中から首石岩(写真2参照)が見える。


二の鳥居の扁額は一目大明神(写真3参照)とある。


楼門には、見事な阿吽の狛犬(写真4・5参照)が見張る。


拝殿(写真6参照)は、「平成3年9月の19号台風ため倒壊したので新築し神殿、楼門、境内社を修復し平成5年4月3日盛大な落成式を挙行した。」と社記にある。


社記(写真7・8参照)は、
「本社薄野神社は天目一箇神を祭り一般に一ッ目神社と称する。肥後国誌に記載されている社殿裏の卋止命の池の水生植物群落、春の桜、秋の紅葉など県北の名勝として広く知られている。
今から約千五百年の昔、継体天皇の四年(510)十一月高天山の神主若山連(むらじ)の後裔吉田氏が斎き祀ったといい県内屈指の古社である。
現在の社殿は焼失後元禄六年(1693)二月建立したが再び炎上安永八年(1779)再建拝殿は天明三年(1783)十月楼門は寛延四年(1751)の建立である。
もと旧三玉村の村社であったが昭和21年6月宗教法人となった。境内神社として八坂神社は素戔嗚命、熊野座神社(伊弉諾命)木幡神社(天忍穂耳命)稲荷神社(倉稲穂命)天満宮菅原道真)を祀る。昭和27年新法人切り替えによって久原の本今田永田本霊仙に奉祀する菅原神社三社および催合の天神社を飛地境内神社とした。祭神はいずれも菅原道真公である。
伝承によると往古旧三玉村蒲生の不動岩と旧三岳村彦岳権現が首引きをした時、この地にあってわが子の首引きを案じていた母神の目に首引きの大綱の端が当り一眼をうしなわれたのでその母神を祀って一ッ目神社と称するようになったという。
また民俗学上では天目一箇神は古代における鍛冶集団の祀るところであるともいう。
本社を有名にしたのは寛政のころ(18世紀)伊勢松坂の本居宣長の門に学び、肥後の国に初めて国学を導入した社司帆足長秋である。
彼が書写した古事記伝は高く評価され県重要文化財に指定されている。また彼が描いた神社絵図も今に遺り荘厳な本社の往時を語っている。
・・・熊本県立装飾古墳館長原口長之識」とある。



ここから自宅まで2時間半。現在時刻13時半帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)35km→一目神社33km→熊本(自宅)
所要時間6.5時間(実5.5時間) 総計68km 走行累計35,698km


一目神社
2017/11/6(月) 晴

不動岩から一目神社へ移動する。一の鳥居(写真6参照)の向こうに震岳の赤い土壌が見える。


池の間の直線路の参道を行くと二の鳥居と楼門(写真7参照)があった。


「社記」(写真10参照)に、「この神社は1500年の昔の建立で県内屈指の古社」とある。
また、「天目一箇神は、鍛冶集団の祀るところである」とあった。
南関町大津山には赤目神社がある。
また、聖母八幡宮には「昼夜分かたず火が見える」という伝説がある。
方保田東原遺跡からは石包丁形鉄器が出ていて、これは中国産の鉄でできているとの学芸員の説明を受けたことがあり、古代の製鉄・鍛冶集団の痕跡と思う。
また、ある本では「紀氏」と同じように「目氏」という古代氏族がいたというが、詳細は書いてなかったので私のなかでは?のままである。


神社裏手には一つ目水源(写真11参照)が公園ととして整備してある。