熊本から気ままに山と自転車のブログ

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村吉天神さんのイチイガシ・宣頓寺の大椋・平菅原神社のたぶの木


村吉天神さんのイチイガシ・宣頓寺の大椋・平菅原神社のたぶの木
2022/5/18(水) 晴

今日の最高気温予報は28°と夏日予報に、暑さ覚悟で午前11時過ぎからポタリング出る。
目的地は、出発が1時間遅くなったので少し距離を短く取れる合志川沿いの菊池市指定天然記念物の村吉天神さんのイチイガシ・宣頓寺の大椋・平菅原神社のたぶの木探訪とする。

往路は熊鹿ロードから向坂へ上がり、小野の泉水経由で合志川沿いの県道329を東へ走る。国道387を横断し、菊池市泗水町の県道204から左折した坂の途中の階段(写真1参照)を登った所に「天神さんイチイガシ」はある。


「天神さんイチイガシ」(写真2・3参照)を見る。


説明板(写真4参照)には、「樫は常緑高木で、字で示すとおり非情に硬く耐久性に優れており、また乾燥にも強いため建築部材や木工品、器具材に多く用いられています。
その一種であるいちいがしは、国内では神社に植えられることが多いといわれますが、ここのいちいがしも地元では古くから「天神さん」と呼び親しまれておい、もともとは隣接する村吉日吉神社の境内地であったのではと推測されされます。
樹齢は不明ですが数百年は経ていると思われます。しかし周囲の樹木に守られていることもあってか樹勢は未だに旺盛で、幹周り七.五mになり、瘤状に連なった根張りの様子は、巨木の貫禄を見せています。
明治の初め頃までは隣に村吉小学校があり、樹の下は格好の子供の遊び場であったといわれています。
また、このすぐ近くには「国郡一統誌」を著した江戸時代の陽明学者北島雪山の墓碑や、明治時代の数学塾で五百余名の門下生を輩出した直整黌跡の碑があります。」とある。
「この樹の下に古墳がありその古墳の封土が流出した」と仮定すれば、この根廻りの樹形も理解できるような気がする。そうだとすれば、「天神さん」とはその被葬者のことと推論する。


村吉天神さんのイチイガシを後にして、上住吉の宣頓寺の大椋(写真5・6参照)に移動する。


説明板(写真7参照)には、「宣頓寺は合志氏の菩提寺でした。「肥後国誌」によれば、もとは宝調寺という寺でしたが合志親賢により宣頓寺と改めたとされています。
椋の木は幹周り七.八m、枝張りは東西二十四.五m、南北に十五mを測り、樹齢は推定で八百年といわれ、地域の歴史を見続けてきた老木です。幹の空洞化が進んでいますが、未だ樹勢は盛んです。
古堂宇には本尊として貞享四年(1687)制作の木彫り地蔵菩薩坐像と室町時代作と伝わる韋駄天像二体が安置され、また境内には、前述の合志親賢(1585没)の逆襲碑(生前に建てる墓碑のこと。1572建立)と、その息子合志高重(1586没)の供養碑や一族関連と思われる五輪塔群が並んでおり、地元住民の方々により大切に管理されています。」とある。


説明文後段にあるところの古塔碑群(写真8参照)を拝する。


「宣頓寺の及び古塔碑群と大椋」を後にして、菊池市旭志麓(平)の「平菅原神社のたぶの木」(写真9参照)に移動する。写真は午後になったので樹影になってしまった。


説明板(写真10参照)には、「昭和に十九年、太宰府天満宮から勧請してこの地に菅原神社の神殿が建立されるまで、このたぶの木は区の神木として長い間崇拝の対象でした。
樹齢は不明ですが、数百年は経ているものと思われます。長年の風雨により樹勢は衰えており、主幹は傾き空洞化も進んでいます。平成六年に倒壊防止のために鉄製の支柱を設置し、主幹を支えます。
例年十一月二十五日は神社の祭日で、区内を五座に分け、輪番でたぶの木に七周半注連縄を巻きつけ、近隣の湯舟神楽保存会の協力を得て、神楽を奉納して祭典を行っています。
戦時中には、出征兵士の武運長久を祈念する壮行会がこの木の前で行われていたそうです。
また、同区内には鞍嶽山善光寺と号する古寺があります。「肥後国誌」によれば、大同元年(806)、征夷大将軍坂上田村麻呂筑後清水寺を建立していたところ、鞍嶽の麓が夢に出てきたのでこの地に善光寺を建立した、とあります。本尊の薬師如来、日光・月光菩薩十二神将像は七年に一度開帳されます。」とある。現在時刻14時半、野々島経由で帰途に就く。


17時過ぎに帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)33km→平菅原神社30km →熊本(自宅)
所要時間6時間(実5時間) 総計63km 走行累計48,520km