
横島町の石塘・加藤神社・小島六地蔵
2023/5/3(水) 晴/曇
今日は最高気温予報26°夏日の気温で快晴の天候で紫外線が強そうな日であることは昨日と同じだが、午前10時半からポタリングに出る。
目的地は玉名市横島町の石塘とする。詳細目的は、清正公が菊池川を現河川に改修の前の旧河川の痕跡を探索することと、玉名市登録文化財の「まぶ」を見ることとする。
熊鹿ロードを北進し、国道208を進み稲佐から木葉川沿いを進む。菊池川堤防沿いの「寺田井樋の記念碑」のある公園(写1参照)の木陰で昼食とする。
記念碑を反対側(写真2参照)に廻って見る。上の方に「井手乃碑」の文字がある。こちらが正面のようである。
寺田井手の木葉川からの取水口(写真3参照)の風景。
寺田井手の記念碑から堤防道路を1.5km程行った所に、「三池往還」六里木跡の石柱(写真4・5参照)がある。
説明板には、「藩政時代、三池往還の道筋にあたるここには、肥後藩の道路の起点である熊本府「札ノ辻」(現熊本市新町一丁目)から6里(約24km)の地点を表す里程木(里数木)のエノキが立っていました。・・・」とある。

河川付け替えの痕跡はないかと堤防道路を走ると、堤防下に石刎(ばね)(写真6参照)が見えた。これは河川流速を弱め、堤防決壊を防ぐ施設である。
堤防南側の川島地区に加藤神社がある。この辺りが菊池川の流路を変えた所で、その堤防の完成に感謝し、その後の堤防の安全を祈願して勧請したものと推測する。
小島天満宮の所から堤防道路を下る。神社から南に100m程の交差点に六地蔵(写真7・8・9参照)が鎮座する。天保五年の銘がある。龕部仏像は、2面は風化することなくほぼ完全な形で残っている。


横島を目指して走る途中、かなり幅のある水路(写真10参照)を横断するが、これが旧菊池川か、寺田井手の下流か、旧菊池川の河道を寺田井手に利用したかは判断がつかない。周りは麦秋の色合いである。
石塘の加藤神社(写真11参照)に到着する。
目的の「まぶ」が、玉名市ホームページには水路跡とあるので、取敢えず写真(写真12参照)は撮ってきた。「まぶ」は、この井手の横島山側を暗渠で刳り貫いき、石塘を迂回させた施設と推測する。(訂正・追記:5月5日まぶを確認。写真遠方中央の顕彰碑の後ろ側にまぶ入口はある。)
目的の旧菊池川河道とまぶは見れなかったが、石塘樋門(写真13参照)を見て人柱之碑を拝して、ここを折り返し点として帰途に就く。
17時に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)34km→横島町石塘27km→熊本(自宅)
総所要時間5.5時間(実4.5時間) 総計61km 走行累計54,026km
横島の石塘
2021/4/1(木) 晴
今日は、10時出発、気温20°、帰路の国道208木葉交差点のデジタル表示板で15:27、29°と暑かった。
ここ四日間黄砂のため動いていない。今日も阿蘇の山並みがやっと見える程度黄砂だったが、黄砂を吸い込むリスクと運動しないことのリスクを比してポタリングに出る。目的地は、玉名市横島町の石塘と、青木熊野座神社のナギ群とする。
伊倉経由で石塘(写真1参照)に到着する。
ここは、古くは菊池川本流が流れていたと言う。伊倉が港町であった理由が納得できた。
樋門の上は、石塘橋(写真2参照)と云う橋になっている。
その石塘の橋詰に加藤神社(写真3参照)が鎮座する。
横島校区まちづくり委員会の説明板(写真4参照)「当社の祭神は加藤清正公である・・・後世、村民が深くその遺徳を偲び、明治三年、清正公の遺像を石の祠に安置した・・・」とある。
加藤神社の横の小広場に「人柱の碑」(写真5参照・2023.5.3差替)がある。
説明盤(写真6参照・2023.5.3差替)には、「石塘。往時菊池川の主流は横島山と久島山間を流れていた。加藤清正は菊池川の水路変更と石塘築堤によって、数百町歩の耕地が出来ることに着眼し、天正十七年(1589年)工を起し十七年間の歳月をついやし、慶長十年(1605年)これを完成した。その間、横島久島間約四○○米の築堤は最も難工事で人柱と読経の加護によって築かれたと言い伝えられている。
人柱の跡。加藤清正公の小田牟田新地干陸で最も困難だったのは石塘の潮止工事であった。築いては幾度となくこわれるので人力では如何ともしがたく、古例にならって人柱を入れ、横島山頂より読経して潮止に成功したと言う。その場所がここであると伝えられる。この築堤に当たり多数の犠牲者と人柱に立った人の霊を祀ったのが大園にある本田大明神である。」とある。

本田大明神(写真7参照)が、石塘から1kmほど西に鎮座する。
石塘を後にして、青木熊野座神社のナギ群に移動する。