熊本から気ままに山と自転車のブログ

ウォーキング・サイクリング・文化財探訪・山行のこと等を記しています。

川西六地蔵・岩隈山の切通・黒蛭六地蔵・神尾城跡

川西六地蔵・岩隈山の切通・黒蛭六地蔵・菊池十八外城神尾城跡
2022/1/28(金) 晴

今日も晴天で最高気温予想13°と昼間は春の陽気に10時からポタリングに出る。
目的地を川西六地蔵、岩隈山の切通し、黒蛭六地蔵、菊池十八外城神尾城跡とする。

熊鹿ロードを北進し、米塚から逸れて芦原橋、中川橋を渡り、国道325を横断し北進する。菊鹿中学校北側の道を通り、上内田川を右岸側に渡ると橋詰に川西の六地蔵(写真1参照)が鎮座する。


六地蔵は造り直されたいるのか、くっきりはっきりした像(写真2参照)が観える。


竿石と礎石には、竿石は細るくらい石粉を取るために穿った穴(写真3参照)が無数にある。


川西六地蔵を後にして、岩隈山の切通し(写真4・5参照)に移動する。
「田舎暮らしdeほっ!」というWeb上のページに「・・・聞き取り調査の結果、かなり昔からこの道路はあり、通行中の村人が足を取られて死亡する事故が起きていました。そのため昭和の初めごろ、さらに山を削り現在の形に近づいたとのことでした。
エ事には外国人が10人ほど従事し、トロッコ線路を敷設して泥を排出したそうです。・・・2017.05.29紹介者:山鹿市文化財保護委員 平井 祥一郎さん (菊鹿町木野)」とある。


道路北側の崖に多くの石仏(写真6・7参照)が鎮座する。


切通しの道を東側に抜けた所に記念碑(写真8参照)がある。


説明板(写真9参照)には、「切通しの石仏群 仏記念碑(ほとけきねんひ)
この記念碑には、次のように書いてある。
龍徳区の松本長平氏は若い頃から信仰心厚く・・・明治三十九年(1906年)・・・八十八体の石仏を作りことを発起。八年余、刻苦奮闘し遂に大正三年(1914年)十一月、志を達成。・・・作った八十八体の石仏は菩薩像の左右に並べ祀る。・・・松本家関係者が相談し、氏の特志を後世に伝えるために八十八体石仏の由来を記すために記念碑を建立する。大正四年八月
※切り通しの壁面に並ぶ石仏群は、この八十八体の石仏ではないかと思われる。
ニ〇一六年三月 菊鹿文化歴史探訪会」とある。


岩隈山の切通しを後にして、黒蛭の六地蔵(写真10・11参照)に移動する。
この六地蔵は宝暦11年(1761年)の作(Web「やまがあい」より)というが、石粉を取った跡もないし、仏像も風化が見られない。


黒蛭六地蔵を後にして、県道37に出る手前で木野神社(写真12参照)に立ち寄る。


水辺プラザに寄り昼食を取り、その後菊池十八外城の一つ神尾城跡に移動する。城跡は、阿蘇三社宮(写真13参照)の境内になっている。


境内左側の古墳塚頂に「神尾城跡」の石碑(写真14参照)が建ててある。


説明板(写真15参照)には、「別名を水次(みつぎ)城といい、代々水次氏の居城といわれています。城跡と称されるところは、丘陵端末部に設けられた古墳で、城跡の碑が建てられています。この古墳は比較的早い時期に破壊されていますが、所々に石室思われる巨石が見えます。
この城は鹿本方面に対する最前線基地ともいえる台(うてな)城の後方にあり、この城の援護または予備的なものとして配されていたようです。
周辺に五輪塔の残欠が散らばっていますが、その中でも特に大きな上部の空風部があります。その大きさからすると一族、あるいは一族にかなり近い所縁の者の墓ではないかと考えられます。
現在は、阿蘇三社宮の敷地となっていますが、この三社宮は応永二年(一四一七)、十八代菊池兼朝の勧請によるものといわれています。」とある。ここを最後にして、14時半過ぎ帰途に就く。


16時半帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)31km→川西六地蔵42km→熊本(自宅)
所要時間6.5時間(実5.5時間) 総計73km 走行累計45,461km